「SNSでのいいね!をもとめて行動する」
上記はおもに若年層の行動パターンとして知られている。
ネットメディアなどではこれを良しとしない報道がされているが、個人的にはそこに違和感を感じる。
ネットメディアをはじめとするニュースサイトなどは、「他人に認められたいがために行動する人間はよろしくない」だとか「承認欲求に溺れると人生失敗して不幸になる」的な脅しっぽいフレーズを垂れ流す。
本当に、承認欲求は悪なのか?僕はそうは思わない。
承認欲求をベースに行動するのは”悪”じゃない。行動しないよりも、行動したほうがいい。
承認欲求がキッカケとなって人生がいい方向に変わることだってある。
もくじ
「承認欲求で行動するのはダサいw」みたいな風潮に違和感を感じた
「モテたいからはじめましたw」という著名人はたくさんいる
SNSやニュースサイトなどは「承認欲求の沼にハマると人生失敗するぞ!」みたいな感じで脅してくるが、かならずしも承認欲求は悪者だとはいえない。
かの有名なギタリスト、エリック・クラプトンは「モテたい」という承認欲求でギターをはじめた。
また、漫画「スラムダンク」の主人公である桜木花道も、モテたいという承認欲求でバスケットをはじめた。
両者とも行動を起こしたキッカケが承認欲求ではあるものの、結果的には自分の取り組みを愛した。
上記はあくまでも一例ではある。しかし、誰かに認められたいというキモチをベースにした行動は、行動を起こすためのキッカケとしては大アリだという一例としても見ることができるだろう。
承認欲求で行動するのは悪ではない
僕自身、過去に「自分を変えたい!誰かに認められたい!」という動機でエレキギターをはじめたり、プロの舞台俳優にもなった経験がある。
もともと僕は、最近でいうところの「陰キャ」だった。
そんな自分を変えたくて行動したのだが、もちろん行動の動機は承認欲求だった。
行動を起こすためのキッカケが承認欲求だったとしても、なにも問題はない。
ネットメディアの洗脳的な文言を真に受けてしまい、「誰かに認められたいという気持ちは NGだよね…本当に好きなことを探さないと…!」なんていうふうに自分を責める必要などない。
好きなことにこだわる必要はないし、得意なことを必死になって探さなくても構わない。
「これやったら自分は少しは変われるかも?」だとか「いろんな人にチヤホヤされたいんじゃ〜!」なんていうふうに行動したって、なにも問題はない。
なにかをはじめるための動機なんて、結局のところはなんでもよかったりするのだ。
スタートの動機に不純っぽさがあったとしても、結果的に「これやってて楽しいやんけ…なんか好きになってきたかも。ハマったわ!」なんていう風に変わっていくこともある。
「承認欲求で行動するのはダサいw」みたいな風潮に違和感を感じた|まとめ
人生は一度きり。
たとえメディアやSNSニュースに「承認欲求の沼に溺れた人間の末路がヤバい」などと煽られても、そんなものは無視したって構わない。
自分が行動を起こしたいと思ったのなら、その動機がなんであれ、自分の心を信用して行動してみるのがよし。