「参考書などで書かれていたから間違っていないはず」
上記は似たようなマインドだが、似ているようでベクトルがやや違う。
●どこかのビジネス書や有名人が提唱するテクニックを、「思い出して」実行する。
●問題が起きたときに、自分なりの思考プロセスを経て「自分のチカラで考えて」実行する。
上記はどちらも思考法ではあるものの、方向性はわりと違う。
【主な所有資格】
生涯学習財団・ヘルスケア財団・メンタルケア学術学会認定 『メンタルケアカウンセラー®︎』有資格者。
もくじ
「覚える」と「考える」は似ているようで違う
「どこかに書いてあった方法を”思い出す」は、『考える』ではなく『想起する』である
昨今はさまざまな思考法やテクニックをネット上で拾えるようになってきた。
また、アマゾンなどではビジネス書が読み放題(プライム会員のみ)ということもあり、偉人たちのマインドへ簡単にアクセスできるようになった。
そのため、なにかを熟考するときには、つい「あの人が〇〇といっていたから」だとか、ふと頭に浮かんでくるものが『どこかで目にした”自分意外の人間による意見”』になりやすい。
ビジネス書や成功哲学書、自己啓発書などを読みすぎると、まるで自分が万能な人間にでもなったかのような錯覚に陥る。
ということもあり、トラブルが起きたときには『どこかで目にしたアイデアやフレーズ・フレームワーク』に頼りすぎてしまうこともある。
たとえば、人間関係においてトラブルがうまれたときには、「〇〇さんはこうやって考えた。こうやって問題を解決したのだから、きっと私のトラブルもソレで解決できるだろう」と考えたりする。
しかし、それはある意味では、自分のチカラで考えた、とはいえない。
自分で考えたというよりも、どちらかというと「参考書に書いてあったことを”ただ思い出した”」というカンジだろうか。
僕たちは一見、考えているように見えて、実は「ただ思い出している」だけである
僕たちは、つい目の前にあるトラブルを、どこかで目にしたであろうテクニックを使って解決しようとしがちだ。
それで問題が解決するなら、それで構わない。
しかし、実際のところは「どこかに書いてあったこと」をそのまま使いまわしただけでは解決できないことのほうが多い。
思考停止して、「有名人・著名人が〇〇だといっているから、そう考えるべきだ」というマインドに陥るのは危険である。
ネットスラングでは、上記のような状態に陥った人のことを『信者』と呼んでいるらしい。
僕自身も”〇〇信者”状態に陥り、自分のチカラで考えることを放棄していた時期もあるが、そのときの人生のグズグズさといったら…目も当てられないものであった。
まとめ:どこかに書いてあったことを「思い出す」ことと、「自分で考える」は違う
なにか問題が起きたとき、僕たちは「どこかに書いてあったテクニックを流用して(想起して)解決する」という方法と、「自分の思考プロセスを経て解決する」という2つのテクニックを無意識のうちに使いわけている。
ネット上の有名人の言っているとおりに実行したけど、なぜか上手くいかない…なんていうときは、前者のマインドに洗脳されている状態ともいえるだろう。
もちろん、著名人のいっていることが役立つこともある。
しかし、ときには世論などを一旦おいておき、「自分のチカラ」で考えて問題を解決したほうがスムーズだったりする。