「幸せ」は手に入れるものではない。幸せとは「物事を解釈する際の方向性」である。

「幸せ」という言葉に惑わされてはいけない。

幸せとは、認知だ。

幸せとは、目の前の現象や物事の解釈に対する考え方の方向性・尺度である。

「幸せ」を追い求めたり、手に入れようとしてもムダである。

幸せは、今あなたの目の前にある。

「幸せ」は手に入れるものではない。幸せとは「物事を解釈する際の方向性」である。

幸せとは、今自分が生きている空間や物質、周囲の環境に対して、どう解釈するかの尺度である。

幸せとは、手に入れるものや到達するものではなく、物事をどう認知し、どう解釈するかの質そのものである。

幸せかどうかの判断をする脳は、育ってきた環境や人間関係、これまでの経験によって歪められたり、正しい方向に育っていく。

なので、物事に対する解釈の正解や不正解といったものは存在しないけども、物事をどう解釈するか?の方向性は、後天的な要素が強い。

今現在、幸せでないと感じているのなら、これまでの経験や環境があなたの物事に対する解釈をゆがめているのだと理解することから始めるのが大事。

幸せと言う状態には、なる、のではなく、手に入れるものでもない。

どう解釈するか、どう理解するか、どう受け入れるかが、幸せという言葉になっているだけである。

幸せと言う言葉に囚われすぎてはいけない。

幸せと言う言葉が、そもそも間違っている。

幸せではなく、物事をどう受け止めるかの質や方向性が、自分の人生を左右していると言うわけである。

幸せ、という言葉は、物事に対する認知の尺度を意味する。

「もっと欲しい!もっと良いものを!」が人を不幸にする

もっと良い暮らしをしたい
もっと良い道具を手に入れたい
もっと人に勝ちたい
もっと人より優位に立ちたい

など、人の欲望に飲まれてしまうと、いつまでたっても目の前にある幸せに気づくことができない。

ドーパミンを発生し続けなければならない暮らし方は、人を不幸にさせるライフスタイルだとも言える。

もっと良く、もっと良いものを

これを手放せなければ、目の前にある幸せに気づくことはできないし、今生きていることそのものが幸せな状態であると言うことにも気づくことができない。

現状に満足するなと言う言葉をよく耳にするが、その言葉は自分自身の幸せの生活に直結した意見とは言い難い。

もちろん、現状を維持するだけでは人は成長できないし、技術を身に付けることもできない。

しかし、こと自分の人生やライフスタイルに関しては、現状に満足しないと言う言葉は、必ずしも自分を幸せにしてくれる言葉だとは解釈しにくい。

もっと良く!
もっと良いものがあるかも!
もっと向上したい!もっと勝ちたい!

これらの価値観は、使い方次第では人を不幸にさせる両刃の剣とも言える。

少なくとも僕が思うのは、今貧乏だとしても、全く人に勝てなかったとしても、目の前にある環境や物、道具に対して、自分はかなり恵まれているのだな、と感謝する事が、自分の幸せにつながる第一なのではないかと考えた。

趣味ができるだけ幸せな方である。

ブログを運営できることそのものが、本来は幸せな行為なのである。

新しいパソコン買って好きな記事を書いて多くの人の役に立ち、しかもちょっとしたお金を得ることができるなんて、本当は素晴らしく贅沢なことなのである。

お米を食べて、チキンを食べて、ごま油をかけて食べる、と言う食生活は、実は贅沢の極みである。

現代人は多くのものを求めすぎてしまうあまり、目の前にある本質的な幸せに気づくことができないでいる。

まとめ:「幸せな心理状態(満たされた状態)」になりたいなら、欲望を手放し、解釈を整えるしかない。

もし幸せと言う心理状態になりたいのなら、不要な欲望やドーパミンを発生させる物事からは距離をとることが大事。

今あるもの、今持っているもの、今できることを贅沢だと理解する事から始める。

屋根がある家に住み、暖かいベッドで寝ることができて、しかも猫と一緒に寝ることができる…と言う状態は、贅沢の極みである。

幸せ、という言葉は人を不幸にさせる甘い蜜。

幸せとは、物事をどう受け止めて、どう解釈するかの質・度合い、方向性のことである。

自分自身を「グッドバイブレーションな状態」にするには、多くの欲望を手放し、物事に対する認知を改めること。